sacréconomie
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  1. The Athenaeum, October 10th, 1885Bullentino dell’ Instituto di Corripondenza Archeologica, 1885, p. 149ff., p. 225ff.
  2. Ovid, Fasti, vi, 756 ; Historicorum Romanorum Fragmenta, ed. H. Peter, Leipzig, 1883, p. 52Statius, Sylvae, iii. I, 56.
  3. Strabon, Geographika, v. 3, 12.
  4. Virgilius, Aeneis. vi. 136ff.; Servius, Commentarii in Virgilium, ed. H. A. Lion, Göttingen, 1826ö ed. G. Thilo and H. Hagen, Leipzig, 1881-, ad l. ; Strabon, Geographika, v. 3, 12Pausanias, Description of Greece, ii, 27.Solinus, Collectanea, ed. Th. Mommsen, Berlin, 1864,  ii. 11 ; Suetonius, Caligula, 35Statius, Sylvae, iii. I, 55. ; Ovid, Fasti, iii. 271.; Ovidius, Ars amatoria. i, 259f.
  5. Bullentino dell’ Instituto di Corripondenza Archeologica, 1885, p. 153f.; The Athenaeum, October 10th, 1885Preller, Römische Mythologie, third ed., Berlin, 1881-1883, i. 317.
  6. Statius, Sylvae, iii. I, 52ff.; Martialis, Epigrammata, ed. L. Friedlaender, Leipzig, 1886, xii. 67.
  7. Ovid, Fasti, iii. 269.; Propertius, ed. F. A. Paley, second ed., London, 1872,  iii. 24(30), 9f.
  8. Inscriptionum Latinarum selectarum amplissima collectio, ed. J. C. Orelli, Zurich, 1828-1856, No. 1455.
  9. Statius, l. c. ; Gratius Faliscus, v. 483ff.
  10. The Athenaeum, October 10th, 1885.; Strabon, Geographika, v. 3, 12Ovid, Fasti, ii. 273Ovidius. Metamorphosis. xv. 487ff.
  11. Festus, De verborum significatione, ed. C. O. Müller, Leipzig, 1839, p. 145.; Persius, Satires, ed. J. Conington, second ed., Oxford, 1874, vi. 56.; Macrobius, i. 7, 35.
  12. Virgilius, Aeneis. vii, 761ff.; Servius, ad l.; Ovid, Fasti, ii, 265f.; Ovidius, Met. xv. 497ff.;  Pausanias, Description of Greece, ii, 27.
  13. Servius on Virgil, Aen. vii. 776.
  14. Inscriptionum Latinarum selectarum amplissima collectio, ed. J. C. Orelli, Zurich, 1828-1856, No. 22124022.

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「『金枝篇』読書会」のための参考文献

Edward Burnett Tylor (1832–1917)

 Primitive Culture (1920)

William Robertson Smith (1846-1894)

James George Frazer (1854-1941)

 The Golden Bough

 1st edition (1890)

 2nd edition (1900)

 3rd edition (1911)

Totemism and Exogamy (1910)

Robert Ranulph Marett (1866-1943)  

William Warde Fowler  (1847-1921)

Friedrich Max Müller  (1823–1900)

 Gifford Lectures

Andrew Lang (1844–1912)

Jane Ellen Harrison  (1850–1928)

Edwin Sidney Hartland (1848–1927)

Baldwin Spencer (1860-1929) & Francis James Gillen (1856-1912)

デュルケム学派のもう一人の立役者

内藤莞爾「H. ユベールの知的生涯」『デュルケムの社会学』恒星社厚生閣、一九九三年、一九八―二四九頁。

モースの「呪術論」「供犠論」の共著者にして、デュルケム学派のもう一人の立役者であるアンリ・ユベール。しかし、彼の名前も業績も、モースほどには知られていません(例えば、「供犠論」の邦訳では、著者名のHubert et Maussがひっくり返されて、モース/ユベールとなっています)。ユベールとは一体どのような人物だったのでしょうか。

本論文は、著者自身が述べているように「〈論考〉というよりは〈解説〉に近い」ものです。とはいえ、ユベールに関しては、〈解説〉すらも珍しいと思うので、以下に簡単にその生涯と思想をご紹介したいと思います。

1)生涯

ユベールは、1872年、パリのブルジョワの家に生まれました。彼は、名門リセ・ルイ・ル・グラン、高等師範で学び、史学の教授資格に合格した後、高等研究院で古代宗教史を研究しました。1898年、デュルケムの『社会学年報』が創刊されると、ユベールはこれに協力することになります。ベナールの分析によれば、初輯『年報』に対するユベールの協力度は、全協力者47人中、デュルケム(330点)、モース(326点)に続いて、第三位(272点)にランクされています。また、内藤氏によれば、デュルケムの信頼は、甥のモースよりもユベールに置かれていたということです。実際、デュルケムはユベールに「マルセル(モース)は仕事が遅いので協力してやってくれ」「マルセルは仕事の進行の邪魔だから、一発ぶん殴ってやらなければならない」といった手紙を書き送っていたようです。

1901年、ユベールは、同院の宗教科学部のヨーロッパ古代宗教史講座の講師となり、その翌年には、モースが非文明民族の宗教史講座の講師となっています。つまり、ユベールがヨーロッパ古代宗教史を、モースが非文明民族の宗教史を、それぞれ分担することになったのです。

1910年、ドイツ人女性と結婚し、1913年に長男のマルセルを授かっています。軍務についた後(戦場には行っていない)、1924年には次男のジェラルが生まれました。しかし、それと引き換えに、最愛の妻を失いました。ユベールは、二年間の闘病の後、1927年に55歳の若さで亡くなっています。

2)思想

  1. 宗教と聖について。ユベールはデュルケム学派ですから、当然、宗教を聖性の概念によって基礎付けています。しかし、ユベール(=モース)の聖とデュルケムの聖との間には、やはり違いがあります。内藤氏によれば、以下のような違いが認められます。①デュルケムの宗教論における聖性が、宗教の拘束的特徴に対する後付けであったのに対して、ユベール(=モース)の宗教論では聖性が前提となっていた。②デュルケムの聖概念が、禁止・分離の観点から、「冷徹な絶対性・合理性」を保持していたのに対して、ユベール(=モース)の聖概念は、感情的・情緒的なものであった。③デュルケムが宗教を教会組織として考えていたのに対して、ユベールは通俗宗教・迷信・民俗(folklore)を受容していた。④デュルケムの聖が、禁止に守られた「聖域」であり、静止的・受動的な体系を構成するのに対して、ユベール(=モース)の聖は、「供犠論」の聖化・脱聖化の供犠に見られるように、聖/俗の区別が可変的・動態的であった、ということです。
  2. 最後の点(聖性の動態的研究)に関して。モースとユベールは、聖性を実体概念としてではなく、操作概念として研究しました。そして、二人は、この研究を分業で進めていくことになります。すなわち、モースが聖性の空間的研究を、そして、ユベールが聖性の時間的研究を分担していたのです。内藤氏によれば、モースの「空間」の宗教社会学の成果は、「分類の未開形態」(1903、デュルケムとの共著)と「エスキモー社会の季節的変異」(1906)に見られるとのことです。これに対して、ユベールは『年報』第4号の書評(1901)、「宗教と呪術における時間の表象に関する素描的研究」(1905)、『年報』第6号の「祭儀」の項(1903)で、「時間」の宗教社会学を展開しました。これを簡単にまとめると、以下のようになります。宗教的時間は、①時間の表象、②危機、③間隔期間の三つの要素に分けられる。まず、①宗教的時間の表象は、同質的でも等価でもない。カレンダー内の位置が類似しているように見える部分だけが、同質・等価である。次に、②もっとも重要なのは「危機」であり、宗教的時間は、危機と「間隔期間」(危機に挟まれた期間)とが時間の内で回転するシステムになっている。つまり、世俗的時間に1日や1年といった区切りがあるのと同様に、宗教的時間も危機によって持続的時間が切断される。このような時間の「リズム化」こそが、宗教(さらに言えば、その根源である「社会」)の機能だ、ということです。

なお、宗教と聖についてのユベールの見解は、シャンピ・ド・ラ・ソセイ編『宗教史教本』の仏訳(1904)に付した序文に簡潔にまとめられています。彼は、デュルケム学派の立場から、宗教と聖性についての諸学説を辿りながら、最終部分で「宗教とは聖なるものの管理運営(administration)である」と定義しています。

聖/俗の学説史

Borgeaud Ph. Le couple sacré/profane. Genèse et fortune d’un concept « opératoire » en histoire des religions. In: Revue de l’histoire des religions, tome 211 n°4, 1994. pp. 387-418.


私たちが一般的に宗教を特徴づける区別だと思っている聖/俗の対立。しかし、実はこれは、ごく最近(19世期以降)に広く流通するようになった対立にすぎません。では、この対立が一般的に使われるようになった背景には、どのような歴史的事情があったのでしょうか。本論文は、聖/俗(sacré/profane)についての学説史という観点から、この問いに答えようとするものです。

1)宗教学前史

古代ローマでは、sacer/profanusの対立は、おおよそ公/私の区別と類比的と考えられていました。そこでは、公/私の間に「市民宗教」のような中間領域がなく、また、ローマの神々は世界に内在的であるため、俗なる空間は聖なる空間から自律的でもありませんでした。したがって、古代ローマでは、宗教とは神々と人間(の代理人)との交渉の場であると考えられていたのです。

ラテン語のsacer/profanusは、現代のフランス語のsacré/profaneと必ずしも同じものではありませんでした。sacréの語源は、sacerではなく「聖別された対象」を意味するsacrantusであり、キリスト教的な意味が含まれています。また、profanusも長い間、「聖なる」に対する「俗なる」ではなく、「専門家、玄人」に対する「素人」の意味で用いられてきました。つまり、sacerとprofanusは、古代ローマにおいて対になっていましたが、フランス語のsacréとprofaneは、必ずしも対ではなかったわけです。

聖書に関して言えば、旧約聖書のqadosh(聖なる)に当たる言葉は、セプタギンタ(ギリシャ語訳)ではhagios、ウルガータ(ラテン語訳)ではsacerではなくsanctusと翻訳されています。新約聖書の場合も同様に、元のhagiosはsanctusと訳されています。つまり、ユダヤ‐キリスト教の文脈では、sacerという語は避けられており、代わりに、完全性や純粋さを含意するsanctusが主に使われてきたのです。

2)宗教学

現代的な聖/俗の対立の源泉となったのが、ロバートソン・スミスです。ロバートソン・スミスは、フレイザーとともに、宗教の起源には禁止、すなわち「タブー」の観念があると考えました。マオリ族の言葉である「タブー」は、本来、禁止とは関わりのない「ノア」(noa)という観念とセットになったものでした。つまり、タブー/ノアの対立が、聖/俗の理論を組み上げるために寄与したと考えられます。

ロバートソン・スミスは、呪術と宗教を区別し、前者から後者へと発展したと考えました。呪術は、未知の力、感染力のある不浄な力への恐れによって特徴付けられるのに対して、宗教は、神への尊敬から生じる神聖さ(holiness, sainteté)の規則によって特徴付けられます。神聖さは、神への参照を含み、タブーの両義性から逃れています。このような区別は、真の宗教であるキリスト教と宗教人類学の対象である呪術とを分けることにもなりました。

ロバートソン・スミスからタブーの観念を引き継ぎ、聖/俗の対立、および聖なるものの両義性の理論を確立したのは、デュルケム学派でした。デュルケムが聖なるものについて探求した背景には、第三共和政という当時のフランスの体制がありました。一方で、キリスト教の影響力を国家から排除するために世俗化が推し進められ、他方で、新たな社会的紐帯を形成するために「市民宗教」の創設が企てられました。そのひとつの答えが、デュルケムの「集団的沸騰」だったのです。

デュルケムにとって、聖なるものは社会の側に、俗なるものは個人の側に属していました(この点で、宗教的体験を個人の内に求めるオットーとは正反対です)。聖なるものとは、祝祭において共同体の成員が熱狂して合一する集団的沸騰の産物であり、その強い感染力から隔てられているのが、俗なるものです。したがって、聖と俗は、隔離されていなければならないのです。また、この集団的沸騰は、個人に対して、幸福感を与えると同時に絶望感を与えることもあります。ここから、聖なるものは両義的な性格をもつことになるのです。

他方で、ロバートソン・スミスのタブーの観念を、精神分析と結びつけて宗教の起源を説明したのが、フロイトでした。フロイトは、フレイザーがなぜ近親婚が禁止されるかという問題に答えられなかった(この点ではデュルケムも同様です)と批判し、その理由は宗教の源泉である禁止がどこから来るかという根本的な問いを回避したからだと考えました。

フロイトは、精神分析から得られた個体発生の理論と当時の人類学の知見から得られた系統発生の理論を接合することで、この問いに答えを与えようとしました。すなわち、子供の父親に対する殺害の欲望と母親に対する性交の欲望、これらに対する禁止が、宗教におけるトーテムに対するタブーと近親婚に対するタブーに対応するということです。そこでは、父親は一方で自分の欲望を否定する恐るべきものであり、他方で愛情の対象であるという両義的な性格を担わされます。このような禁止に対する両義的な感情は、明示的にはブロイラーを参照していますが――ボルゴーによれば――、ロバートソン・スミスとデュルケムによる聖の両義性の発展形であると考えられます。

デュルケムが聖なるものを両義性によって、俗なるものを一義性によって特徴付けたのに対して、フロイトはそうした対立の代わりに、意識と無意識、欲望と禁止という対立を想定していました。また、デュルケムにとって俗なる領域に割り当てられた個人の心理は、フロイトによって、個体発生と系統発生が類比されることで、社会学の対象となりえたのです。ボルゴーは、「トーテムとタブー」が宗教学へ与えた影響は大きいと評価しています。

※オットーとカイヨワについての議論もありますが、ここでは割愛します。

これまでに見た通り、聖/俗の対立とは、特定の時代背景の下で、デュルケム学派によって考案されたものにすぎません。そのため、聖なるものと俗なるものは、人類学者や歴史学者にとっては、操作的な概念ではありませんが、宗教現象学者とその後継者達にとっては、未だ重要な概念です。その後継者の一人であるエリアーデは、聖/俗の対立を極限まで突き詰めた理論を展開しました。

エリアーデにとって、聖/俗の対立は、存在/非存在、意味/無意味、神話/歴史の対立を意味していました。聖なるもの(神話)は、俗なる世界に真の存在と意味を与えるものであり、時間(歴史)の外部に置かれることが要請されます。そして、様々な神話を比較することによって、あらゆる宗教に共通の神学、いわばメタ神学を創設することが目指されます。エリアーデはこのような比較を「聖の形態学」と名づけました。しかし、これは聖/俗の対立を自明視し、神話と歴史(聖なる歴史と俗なる歴史)の対立と考えるという点で、方法論的には大きな後退でもあったのです。

最後に、ボルゴーは、レヴィ=ストロースが『悲しい熱帯』の中で記した印象的なエピソードを引いています。アマゾンでフィールドワークをしていたレヴィ=ストロースは、そこで、原住民が信仰の世界と日常の世界を自由に行き来し、その区別に対してさしたる配慮を払っていないことに驚きました。子供の頃、ラビである祖父の家に住んでいたレヴィ=ストロースにとって、聖なる空間と俗なる空間は截然と区別されるべきものだったからです。

聖/俗の対立は決して自明ではなく、聖なるものの両義性も現在では疑問に付されています。本論文が示しているように、それらの論点は、一方では、歴史的文脈によって説明されるべきものかもしれません。しかし、他方では、聖/俗の対立や聖なるものの両義性が、本当に宗教にとって本質的なものではないのか、あるいは人間の社会にとって本当に重要な意味を持っていないのか、これらの問いについて未だ十分な研究がなされているとは言えません。

古い辞書でのsacré/profaneの定義

1)sacré

  • Jean Nicot: Le Thresor de la langue francoyse (1606):①聖別された(consecratus)の意味。例えば、王の聖別。②聖なる(sacer)の意味。神に捧げられていること。
  • Dictionnaire de l’Académie française, 1st Edition (1694):ここで初めて「俗なる」(profane)と対立する意味と規定される。特別な崇敬の対象に用いられる。以下、5版までほぼ同様の説明。
  • Dictionnaire de l’Académie française, 6th Edition (1835):宗教に関する事物に付与される形容詞。異教徒の信仰の対象にも同様に用いられるとされている。また、崇敬の対象は、決して侵害してはならず、人は決して触れるべきでなく、触れようともしないものと規定されている点に注目。タブーと類似している。さらに、ここで初めて「聖なるもの」(le sacré)という実詞として使用されることがあると言われている。第8版(1932-5)に至っても特に目新しい点はない。

2)profane

  • Jean Nicot: Le Thresor de la langue francoyse (1606):俗なる(profanus)の意味。
  • Dictionnaire de l’Académie française, 1st Edition (1694):①宗教的事物に抱く尊敬の念に反するもの、純粋に世俗的なもの。実詞としても用いられる。②学者、礼儀正しい人物に対する無知な人、粗暴な人物。以下、第8版までほぼ同様の説明。

sacré/profaneの対概念は、デュルケム学派が1890年代以降に宗教学の分野に持ち込み、一般的に流布されるようになったとされるが、この対立自体は17世紀後半に既に見られる。特にprofaneは早い段階で現代的な意味として使用されている。これに対して、sacréの方は、19世紀前半になって現代的な用法を獲得したことが分かる。デュルケム学派以降の第8版で急激に変化した点はないように思われる。

Dictionnaires d’autrefois

『宗教事典』の「聖なるもの」

Colpe, C., The Sacred and the Profane, trans. by Stockman, R. M., in : The Encyclopedia of Religion, ed. by Eliade, M., Macmillan, 1987, vol. 12, pp. 511-526.

エリアーデ編纂『宗教辞典』の「聖なるものと俗なるもの」(カルステン・コルペ執筆)の項目です。

本項目は、文献学、社会学、人類学、歴史的考察を含み、先史時代の遺跡から古代ローマの文献、デュルケム、ウェーバー、オットーといった正統派の「聖」概念、さらには、バタイユ、カイヨワらの社会学研究会まで、非常に目配りの利いた解説となっています。

コルペの基本的な姿勢は、「聖」についての対象レベルの言語(日常的に使用されている「聖」という語)とメタレベルの言語(学知的に反省された「聖」という語)、聖なるものの現象と「聖」の概念をさしあたり区別し、それぞれ前者(対象言語、現象)を考察することによって、後者(メタ言語、概念)を抽出しようというものです。

しかし、こうした方法に疑問がない訳ではありません。というのも、まず、コルペ自身が二つのレベルを取り違えている部分があるように見えるからです。例えば、コルペは、様々な言語における「聖」を指す語を探索するために、翻訳語による同義語ではなく、文化的文脈によってそれを確定する、とします。しかし、実際には、辞書的な翻訳語によって同義語が確定されています(ラテン語のsacerと日本語のhijiriは、どれほど「似ている」と言えるでしょうか)。また、より根本的な問題としては、そもそも聖なるものの様々な現象を取り集めて、そこから概念を抽出するといっても、その作業は、あらかじめ何らか「聖」の概念を前提とすることによってしか、なしえないように思われます。すなわち、あらかじめ丸いものを集めておきながら、これらに共通する性質は「丸いこと」であると「発見」しても仕方がないのです。

それはともかくとして、興味深かった次の二点について簡単にご紹介しておきましょう。

  • ラテン語sacerについての文献学的考察

コルペは、sacerとprofanusの関係が矛盾対立であるのに対して、sacerとfasは反対対立であると規定しています。信仰の対象や場所は、すべてsacerであり、派生語sancire(sacerとして取り置く)の分詞形sanctusが最終的に聖なるもの全般を特徴づける言葉となりました(バンヴェニスト流のsacer/sanctusの対立は考えられていないようです※)。sacerは、ユダヤ‐キリスト教の文脈では、consecrated(聖化された、神に捧げられた)という意味に限定され、やがて、「聖なる」という性質は事物に内在的なものではなく、神へ捧げられるという行為に依存するようになりました。

これに対して、profanusは、本来、聖所の外の空間を指す(pro前-fanum聖所)言葉でした。それは、聖なるものの外部ではありますが、(世俗的な)儀式に用いられた場所でもありました。

fasもまた、sacerと対立する言葉です。fasとは、宗教的な咎を受けずに、することが許されているような行為(とはいえ、しなければならないという訳ではない行為)を指します。逆に、nefasとは許されない行為、すなわち、瀆神を表す意味になるのです。

さらに、コルペは、sacerの両義性(神聖な/呪われた)についても言及し、この両義性は、地獄の神々への奉納から由来したという風に解釈してはならない、と解説しています(恐らくファウラーに対する批判でしょう)。というのも、sacerの両義性とは、「あらゆる宗教的な体験の基本構造をなしている両義性」だからであり、この両義性を解消してはならないからです。

※コルペ編集によるDie Diskussion um das”Heilige”, Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1977.には、バンヴェニストの当該論文も収録されているので、意識的にネグっているようです。

  • 聖/俗のプライオリティについての歴史的考察

コルペは、聖と俗の歴史的な発生については、①聖と俗が同時に発生した、②俗なる世界から聖性が事後的に発生した、③聖なる世界から俗なるものが分化したという三つの説が考えられる、とします。

  1. 聖と俗の同時発生説。これは、石器時代の洞窟遺跡の構造から推測されます。聖なるものの条件とは、a)日常生活からの隔離、b)例外性であり、聖所は洞窟の中でも容易に近づけない場所に設けられています。
  2. 俗に対する聖の事後的成立。この説に含まれる立場として、フレイザーの呪術から宗教への進化説、マルクス主義的な発展史観、ジラールによる供犠論(供犠とは共同体内での暴力の宥和された形態であり、そこから聖なるものの観念が生じた)等が挙げられています。
  3. 聖からの俗の分化説。この説は、宗教/呪術/科学、王/祭司/シャーマンといった現在では分化したものが、原初的には、聖なるものとして一体であったとする立場です。タイラーのアニミズム、ファンデルレーウのマナ‐オレンダ同一説、マレットのデュナミズムがこれに分類されます。

当然ながら、これらのうち、いずれが正解であるか、決定的な議論はありません。

「聖」概念の反コンテキスト化とテキスト読解(1)

藤原聖子『「聖」概念と近代』大正大学出版会、二〇〇五年。

オットーとデュルケム――「聖なるもの」についての思想を展開した両者のテクストを比較検討することによって、「聖」概念の近代性を示すことが本書の主題です。

一般的に、オットーとデュルケムは正反対の資質をもつ思想家であると考えられています。デュルケムが、宗教を社会科学的に探求し、社会的な側面から捉えようとしたのに対して、オットーは宗教を神学の立場に立って、個人的な側面から把握しようとしました。このように、一見すると相容れない両者の思想を「聖」概念という共通項から読み解くために、著者は「反・コンテキスト化としてのテキスト読解」という方法を採ります。それはつまり、オットーとデュルケムの思想を、歴史的な状況(コンテキスト)へと還元してしまうのではなく、彼らのテキスト読解を通じて概念の意味を確定し、両者の概念を直接突き合わせることによって、新たな文脈(コンテキスト)を紡いでいこうというものです。

著者がこのような方法を採用する背景には、近年の宗教学をめぐる、ひとつの困難が控えているようです。それはつまり、「宗教」概念、あるいは、(伝統的にそれを根底的に規定すると考えられてきた)「聖」概念が実はごく近代的なものであり、普遍性を持たないのではないか、したがって、宗教なる固有の領域などは存在せず、それを対象とする学問、すなわち「宗教学」というものが存在しえないのではないか、という問題です(例えば、タラル・アサドのフーコー的な系譜学による「宗教」概念批判を挙げることができます)。著者の語る「反・コンテキスト化としてのテキスト読解」は、こうした風潮に対するひとつのアンチテーゼであると言えます。

このような方法の下で、著者はオットーとデュルケムの「聖」概念の共通点を探っていきます。以下では、興味深いと思われた論点をいくつかご紹介したいと思います。

第1章 反転図形としての「聖」概念

デュルケムとオットーの「聖」概念には、価値としての側面と力としての側面があり、両側面がともに合理的かつ非合理なものとして反転する「反転図形」となっているとされます。

  1. 価値としての側面。「聖」は宗教的な「価値」として扱われますが、デュルケムとオットーはともにこの「価値」をドイツの神学者アルブレヒト・リッチュルの「価値」概念に負っていると指摘されます(それは思想史的コンテキストへの還元ではないかという疑問は浮かびますが……)。新カント派の価値判断が対象認識という主知主義的なものであるのに対して、リッチュルの価値判断はむしろ対象に対して服従・崇拝するという反主知主義的なものであるとされます。また、両者の「聖」についての価値判断は、その内容(対象)が何であるかよりも、形式(「聖」という価値をもつこと)が重視されています。
  2. 力としての側面。「力」は19世期には一種の流行語であり、一方で、自然科学における磁力、電力、エーテル、エネルギーという「力」があり、他方で、オカルトやスピリチュアリズムにおける霊力や動物磁気という「力」がありました。このような合理的な力と非合理的な力が、宗教学における「マナ」そして「聖」の中で混淆しているとされます(これも歴史的コンテキストなのではないかという疑問が……)。それは、オットーの場合であれば、聖なるものを前にした人間を畏怖させる「力」であり、デュルケムの場合であれば、集団的沸騰による凝集力であり伝染力であるというわけです(デュルケムの「力」概念の詳細については第二章)。
  3. ただし、両者は、宗教の本質が「力」(マナ)であるとするデュナミスト(マレットやゼーデルブロム)とは立場を異にしています。というのも、「力」そのものは物理的・自然的なものでありうるので、必ずしも宗教的な力であるとは言えないからです。むしろ、デュルケムとオットーが強調するのは、この物理的力と宗教的な力の絶対的異質性です。デュルケムが宗教を定義する際に重要であったのは、聖/俗の異質性であり、オットーにとっては、宗教/自然の異質性でした。

このように、デュルケムとオットーの「聖」概念の共通点は、価値/力という二重の側面をもち、この二つの側面がどちらも合理性/非合理性をもつ、ということにあります。そして、とりわけ両者は、「聖」概念をその内容ではなく形式、つまり対象ではなく聖/俗の異質性によって宗教の本質を規定しようとする、「形式主義的アプローチ」を採る点で、共通しているとされます。(続)

聖なるものを指す二つの言葉

Benveniste, É., Le vocabulaire des institutions indo-européenes, 2, Minuit, 1969, pp. 179-207./バンヴェニスト『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集』第二巻、言叢社、一九八七年、一七一―二〇〇頁。

バンヴェニストの聖性についての議論は、ユベール/モースの「供犠論」に強く影響されています。したがって、デュルケム学派流の「聖/俗の対立」および「聖なるものの両義性」という枠組みが前提とされています。しかし、バンヴェニストが強調するのは、単にsacerという語に「聖なる/呪われた」という二重の意味がある、ということではありません。むしろ「聖なるもの」を指す言葉には、sacer/sanctusという二つの系統がある、ということだったのです。では、この二つの系統は、それぞれ「聖なるもの」のどのような側面を言い表しているのでしょうか。

バンヴェニストは、アヴェスタ語のspənta/yaoždāta、ラテン語のsacer/sanctus、ギリシャ語のhieros/hagiosという、「聖なるもの」を指す三組の対語に注目します。結論から先に言うと、それぞれ前者が「神の現前を担うもの」、後者が「人間との接触を禁じられたもの」を意味しています。アヴェスタ語は措くとして、ラテン語とギリシャ語の場合をもう少し見てみましょう。

  1. sacer/sanctus この二つの言葉は、どちらも語根sak-から派生した言葉です。sacerの方が古く、sanctusはsancio(聖別する、罰する)の分詞形です。sacerについては、以前見たように、俗なるもの(profanum)から排除されたもの、それゆえ、「神聖な」と「呪われた」の両者を指す言葉であると考えられます。これに対して、sanctusは元々、『ローマ法学説彙纂』で定義されているように、聖なる/俗なるの対立の外部にあり、刑罰規定(sanctio)によって人間から保護されたものを指していました。実例としては、「聖山」(mons sacer)と「神聖な城壁」(murus sanctus)という表現が挙げられます。sacerの場合、山自体が聖なるものであるのに対して、sanctusの場合、聖なる空間を守っている城壁がsanctusと言われるのです。こうして、sacerはそれ自体が内在的に聖なるものを指すのに対して、sanctusは法や禁止によって人間から隔てられるものを指していることになります。ここから、両者の合成語sacrosanctus(神聖にして不可侵)という言葉も成立するのです。
  2. hieros/hagios ギリシャ語の「聖なるもの」を指す二つの言葉も、おおよそラテン語の場合と一致しています。まず、hierosは元来、「力強い」という意味であり、そこから「神の影響によって力に満ちている」、次いで「聖なる」という意味を獲得していったと推測されます。例えば、『オディッセイア』XIII, 372「hierosなオリーブ」は、文脈を読むとオリーブの木の下にアテナとオデュッセウスが座っていることから、神によって力付けられた→聖なるオリーブとなる訳です。これに対して、hagiosは、ヘロドトス以来、神殿の形容詞として用いられてきました。それは、神罰によって聖なる場所が守られていることを意味しています。また、その動詞形であるhazomai(恐れる)は、主にホメロスの用語として用いられ、神や神的人物を前にして尊敬と畏敬の念を抱くことを意味していました。

※ギリシャ語の場合は、さらにhierosと似た意味の言葉(と通常考えられている)hosiosがあります。hosiosは、LSJでは「神々の法によって裁かれた」と「人間の法によって裁かれた」という矛盾する定義がされています。しかし、バンヴェニストによれば、この矛盾は表面的なものにすぎず、hosiosは「神の法によって、人間関係において、許された」を意味するとしています。したがって、hierosが「人間に対して禁止された」、hosiosが「人間に対して許された」を意味し、この対立がやがて「聖なる」と「俗なる」の対立に解消されていったということです。

以上のように、sacerとhierosが聖なるものの肯定的な側面を、sanctusとhagiosがその否定的な側面を指す概念であると考えられます。とはいえ、sacerとhagiosは、ぴったり一致する訳ではありません。sacerには、俗なる領域からの除外という含意がありますが、hagiosにはありません。また、ホモ・サケルにあったような「聖なる=呪われた」に当たる言葉も、ギリシャ語にはないのです。ここから、バンヴェニストは、印欧諸語における「聖なるもの」についての概念は、ラテン語において一新されたのではないかと推測しています。

『ローマ法学説彙纂』におけるsacer, religiosus, sanctusの定義

1.8.6

Marcianus libro tertio institutionum

2. Sacrae res et religiosae et sanctae in nullius bonis sunt.

聖なる〔sacer〕もの、畏れ多い〔religiosus〕もの、神聖な〔sanctus〕ものは、いかなる財産の下にもない。

3. Sacrae autem res sunt hae, quae publice consecratae sunt, non private: si quis ergo privatim sibi constituerit sacrum “sacrum constituerit”, sacrum non est, sed profanum. Semel autem aede sacra facta etiam diruto aedificio locus sacer manet.

聖なる〔sacer〕ものは、公的に聖別されたものであって、私的に聖別されたものではない。それゆえ、もし誰かが私的に自分自身の手で聖なるものを創設するとしたら、「聖なるものを創設する」と言っても、それは聖なるもの〔sacrum〕ではなく、俗なるもの〔profanum〕である。他方、一度、神殿が聖なるものとされたならば、たとえ建物が取り壊されても、その場所は聖なるものであり続ける。

4. Religiosum autem locum unusquisque sua voluntate facit, dum mortuum infert in locum suum. In commune autem sepulchrum etiam invitis ceteris licet inferre. Sed et in alienum locum concedente domino licet inferre: et licet postea ratum habuerit quam illatus est mortuus, religiosus locus fit.

死者を彼の所有する土地に埋葬するかぎり、ひとは各自の意志に従って場所を畏れ多い〔religiosus〕ものとする。これに対して、共同墓地においては、他人の意志に反してでも、埋葬することが許されている。土地の所有者が同意すれば、他人の所有する土地に埋葬することも許されており、また、死者が埋葬されたことを事後的に有効と認められた場所も畏れ多いものとなる。

1.8.8

Marcianus libro quarto regularum

pr. Sanctum est, quod ab iniuria hominum defensum atque munitum est.

神聖なもの〔sanctum〕とは、人間による不正から守られ、保護されるものである。

1. Sanctum autem dictum est a sagminibus : sunt autem sagmina quaedam herbae , quas legati populi Romani ferre solent), ne quis eos violaret , sicut legati Graecorum ferunt ea quae vocantur cerycia.

神聖なもの〔sanctum〕はサグミナ〔sagmina〕から由来して、そう呼ばれる。サグミナとは、ある種の草であり、ローマ人の使節は、誰も彼らを傷つけることがないようにと、それを持ち運ぶことが習わしとなっている。ちょうど、ギリシャの使節がケーリュキアと呼ばれる草を持ち運んだように。

1.8.9

Ulpianus libro 68 ad edictum

pr. Sacra loca ea sunt, quae publice sunt dedicata, sive in civitate sint sive in agro.

聖なる場所とは、都市においても畑地においても、公的に奉納された場所である。

2. Illud notandum est aliud esse sacrum locum, aliud sacrarium. Sacer locus est locus consecratus, sacrarium est locus, in quo sacra reponuntur, quod etiam in aedificio privato esse potest, et solent, qui liberare eum locum religione volunt, sacra inde evocare.

一方に聖なる場所があり、他方に聖所〔sacrarium〕があることは注記されるべきである。聖なる場所とは聖別された場所であり、聖所〔sacrarium〕とは聖なるものがそこへ返却されるべき場所であり、それは私邸の中に設えられることもありうる。そして、その場所を神聖性〔religio〕から解放しようとする者は、聖なるものをそこから引き出す習わしである。

3. Proprie dicimus sancta, quae neque sacra neque profana sunt, sed sanctione quadam confirmata: ut leges sanctae sunt, sanctione enim quadam sunt subnixae. Quod enim sanctione quadam subnixum est, id sanctum est, etsi deo non sit consecratum: et interdum in sanctionibus adicitur, ut qui ibi aliquid commisit, capite puniatur.

神聖なもの〔sanctum〕とは、本来、聖なるもの〔sacrum〕でも俗なるもの〔profanum〕でもなく、ある刑罰規定〔sanctio〕によって確立されるもののことである。したがって、諸法は何らかの刑罰規定に基づくがゆえに、神聖なものである。ある刑罰規定に基づくものは、たとえ神々に捧げられていなくても、神聖なものである。そして、その場所で何らか侵犯する者が死刑に処されるということが、ときに刑罰規定に付け加えられる。

5. Res sacra non recipit aestimationem.

聖なるものは、価値評価を受けることがない。

Digesta Iustiniani.

聖なるものの両義性(後編)

W. W. Fowler, The Original Meaning of the Word Sacer, in : Roman Essays and Interpretations, Clarendon Press, 1920, pp. 15-24.

聖なるものは本当に両義的なものなのでしょうか。そもそもその根拠のひとつである、sacerという言葉がもつ両義性(聖なる/呪われた)はどこから来たものなのでしょうか。ロバートソン・スミス、マレットの聖性の両義性の議論に触発され、また、アガンベン『ホモ・サケル』の元ネタともなった古典的な論文、ファウラー「sacerという語の本源的な意味」を改めて確認してみましょう。

ファウラーはまず、フェストゥス『語の意味について』の「聖山」(sacer mons)の項目を引用しながら、古代ローマにおけるsacerを定義します。ローマの宗教法においては、sacerとは神の所有物であり、それは国に関わる「俗なるもの」(profanum)の領域から排除され、「聖なるもの」(sacrum)の領域へと移行したものを指していました。つまり、聖なるものとは、宗教的な手続き(つまり供犠)を経て、俗なる世界から排除され、神へと捧げられたもののことです(consecratioとは、「神へと捧げること」と「聖別すること」を同時に意味します)。

しかし、この定義とうまく合わないsacerの用例があります。それが、「ホモ・サケル」(homo sacer)です。ホモ・サケルについては、先に挙げたフェストゥス『語の意味について』やマクロビウス『サトゥルナリア』の中で報告されています。ホモ・サケルとは、「呪われた者」(重犯罪者)と認定された人間のことで、民衆はこのホモ・サケルを殺しても、殺人の罪には問われないことになっていました。ホモ・サケルと通常の聖なるものは、国の領域である俗なるもの、市民法から排除されているという点で共通しています。しかし、次の点で両者は異なります。

  1. 聖なるものを侵害することは、神への冒涜(nefas)であるのに対して、ホモ・サケルを殺害しても冒涜とはなりません。聖なるものは、神の所有物ですから、これに手出しすることは当然、瀆神という非常に重い罪になります。これに対して、ホモ・サケルは神の所有物ではないのですから、殺害しても神への冒涜には当たりません。
  2. 聖なるものは「神の法」(jus divinum)に従って、所定の祭壇で供犠にかけられることで、俗なるものの領域から聖なるものの領域へと移行します。つまり、決められた時間・場所・手続きに従い、殺害されることによって、聖化されるわけです。これに対して、ホモ・サケルの殺害は供犠ではありません。その殺害は、祭壇で行われることはありませんでしたし、殺害において流血することは慎重に避けられていました(岩から突き落とされたり、海に投げ込まれたり、生き埋めされたり)。そして、何よりホモ・サケルの殺害は、いかなる聖化の意味も含んでいないのです。

以上の二点を合わせて考えると、聖なるものとホモ・サケルの決定的な違いは、神に捧げられるか否か、言い換えれば、神への参照があるか否か、という点にありそうです。しかし、これには反例があります。例えば、収穫物泥棒は、ケレースに捧げるために首吊りにされ、妻を売り払った男は地獄の神々のために生贄にされました。どちらの場合でも、ホモ・サケルは神へと捧げられていますが、聖なるものと異なるのは、それが地獄の神々へと捧げられているという点です。つまり、聖なるものは神へと捧げられ、聖化される(consecratio)のに対して、ホモ・サケルは犯した罪の贖罪として地獄の神へと捧げられる(devotio)のです(※)。ここから、ファウラーは、ホモ・サケルのsacerとは「捧げられ、聖化された」(sacred to)ではなく、「呪われ、捧げられた」(accursed and devoted to)と訳すべきだと結論します。

※このような、俗なる事物を聖化することと呪われた者の贖罪をすること、ふたつの相反する供犠の機能をユベール/モースなら、聖化と脱聖化の供犠と呼ぶでしょう。ユベール/モースは、その供犠論で、あらゆる供犠には、聖化と脱聖化の両面が何らか含まれている、としています。

ファウラーは、ローマ社会の三つの発展段階にともなってsacerの位置付けも変化したと仮説を立てています。すなわち、①国家と神の法が成立する以前、集団的な評決によって有罪者はタブーとされた。②ローマ国家初期では、王と司祭の権威によって、聖化の儀礼と冒涜が決められていた。③共和国の段階に至って、司祭を媒介せずに、法廷によってホモ・サケルが判決されるようになった。このように、sacerが「聖なる」と「呪われた」へと分裂したのは、歴史的な発展によるものとされているのです。そして、ファウラーによれば、sacerの本来の意味とは、俗なるものの領域から排除されたもの、「聖なる」ものであると同時に「呪われた」もの、つまりタブーである、ということになります。

ファウラーの説に従うならば、sacerは両義的である、なぜなら、sacerとは本源的にはタブーだからだ、ということになります。「聖なるもの」の両義性を批判するアガンベンも、ある意味では、このタブーの構造と無縁ではありません。というのも、彼は、ホモ・サケルとは「殺害可能にして供犠不可能な存在」つまり、人間の法からも神の法からも締め出された存在であると規定しているからです(タブーを二重化しているにすぎません)。つまり、ファウラーにせよアガンベンにせよ、タブーによる共通の法や社会からの排除という定式に従っているのです。しかし、さらに問われなければなりません。タブーは、本当に「聖なるもの」を根本的に規定するような概念なのでしょうか。